7 generations walk

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ウォーカーの感想 / 松宮麻衣子 7 generations walk 世話人

 このWalkで私は、高槻から京都、比叡山坂本までの行程と、最後の高尾山に参加した。そして京都では、25人のウォーカーが、私の家に泊まりに来てくれた。
 参加して強く感じたのは、歩くというシンプルな行為で自分自身も含め、人や周りの環境を知り、近くなっていけるのだということだった。

 歩いている間、ご飯のことを考えなくてもいい。明日することを考えなくてもいい。歩いて、ご飯を頂いて、眠る場所がある。普段色々なことに消費している自分のエネルギーと占領されていた思考スペースがたくさん余ってくるような感じがした。その余裕に映るのは、美しい景色だったり、与えてもらっているものへの感謝の気持ちだったり、気が付いていなかった自分の側面だった。自分のことに囚われていないぶん、周りのことが、ぐっと近くに感じられた。

 歩くのは、ときにしんどい。特に1日8時間以上1ヶ月半も歩くと。
25人も普通の家に泊まると、ぎゅうぎゅう。廊下や玄関にまで寝たりした。
痛かったり、狭かったり、疲れたり。
それなのに、そこには笑顔があって、楽しくて、帰りたくないと思う。明日も歩きたいと思う。
それは、やっぱり、心の奥の本当のところで、何かが自分にいい、心に効いているとわかるからだと思う。

 楽で簡単で、自分の好きなことが、本当の意味ではよくないこともあり、逆にしんどいこと、不便で嫌だと思うことの中にも自分を成長させるものがある。大切なのは、何をするかではなく、どんな意志をもってそれをするかであるのだと思う。

 私が私の周りの人や物や環境を近くに感じられなければ、次の世代のことや、まして7世代先のことを近くになんて感じられない。住むところ、食べるもの、着るもの、家族や友達、なんであれ、知らないもの、近くに感じられないものを愛するのは、難しい。

 25人のウォーカーが家に泊まりに来てくれたとき、ほとんど誰のことも知らなかったけれども、その朝一緒に歩いただけで、みんなをまるで前から知っていたかのように近く感じられた。

 一緒に歩く、一緒にいる、一緒にご飯を食べる。そのなんでもない行為が、確実に心を近づけ、つなげていく。そして、そのつながったあったかい関係が本来の自然な姿なのだと思った。Walkが終わっても、その学びと気づきをどう日常に組み込んで、生きていくか、これからが大切で、これからが始まりなのだという気持ちで今います。