7 generations walk

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ウォーカーの感想 / 釣りちゃん

tsuri

六年続けた美容師を9月30日で辞めて、10月1日に7gが若狭から大阪へやってきて、合流した。
本当に必要なものだけバックパックに積んで。
バックパックの背負い方さえぎこちない。
「釣ちゃんは足が地から浮いてるね」とよくよく言われてきてるくらい、
ふにゃふにゃ歩きで、アメリカを横断したり、歩き慣れているメンバーの中、
大丈夫だろうかと不安も多少ある中、なんとかなるだろうと心は軽く、参加した。

歩きだして早速、奈良の峠を越える。

tsuri

案外いけるかも、と思った。
きっとずっと立ってる仕事だったからだぁ〜、と調子に乗り、
「釣ちゃん大丈夫?」
と気にかけてもらっても、
「全然大丈夫、余裕です!」
と答えた瞬間、体がガタガター!!って、痛みを発狂した。
「おれら、がんばってんねん、行きなり歩くから、びっくりしてんねん!」
と体が言ってるようで、どんどんきつくなっていく。
そこから体と話すようになり、
「あ〜、がんばってくれてるね、ありがとう、もうちょっと、進みたいねん。よろしくね。」
とそこで初めて自分はこの肉体とともに生きてるんだと実感する。

だんだん痛みが足首に集中するようになり、少しの坂道や、降りの階段が本当に恐ろしくなる。変な歩き方を続けると、さらにおかしくなりそうだ。
それでも歩く、歩いて歩いて歩き、歩く。
歩くスピードは、やさしく、呼吸もしやすい。今まで聴いてきた音楽が励みになる。どんな場所でもある空と、ゆれる木々と、体の中も通過する風。途中休憩で、体を暖かく包んでくれる太陽の光と、そしてみんなと奏で歌う音楽。すべてが筋肉をほぐし、体と心を癒した。

tsuri

歩き方にも気づきがあった。
どこを見て、歩くかだ。
遠すぎず、近すぎず、でも案外近いところを真剣に、集中する。目の周りの筋肉はゆるめても、見るところは鋭く見る。それさえできれば、どんなに体がぼろぼろになってきても、進むことができる。どこを見るかが大切なんだ。それは今起こっている、今見つめるべき世界と一緒のようだとも思った。
私は、見るべきこと、向かうべき今をしっかり見つめ、進んでいこう。

段々、歩けるようになってきた。
まっすぐ、リズムよく、しっかりと。
本当に、嬉しかった。歩けることが嬉しい。進める、東京まで行きたい。
当初は富士山までの参加だったのを、最後の東京までに変更する。
もっともっと歩きたい、陸さえあれば、どこへでも行けるかも!
またもや調子にのってくる。
そこへ、静岡に入り、太平洋が現れる。

tsuri

感じたのは、

「あ、海は歩けないや。」
だった。ずっと瀬戸内海育ちだから、太平洋の広さに、大きさに圧倒された。
でもスコンと入った。歩ける大地は本当に小さく、地球はほとんどが海なんだ、水なんだ。
特に今いる日本は小さな小さな海に囲まれた島であって、このわずかな大地を大切にしなければならない。
決して汚してはいけない。私たちは、生きていけない。
海から教えてもらった。
調度その夜は満月で、みんなの息もそろい、最高のウォークをする。
今まで室内で過ごすのがほとんどだった生活から、毎日太陽に挨拶をし、ともに歩き、沈む夕日に感動し、そして月に挨拶をする。
存分に光を浴び、そして歩くことで、体の調子もさらによくなっていく。

毎日出会うべく人と出会い、色んな暮らしを知り、想いを知り、そして別れ、また出会う。
一緒に歩くみんなとは、頼ったり、ひっぱったり助けてもらったり元気をもらったり、大くの愛をもらった。

やまちゃんが最後の方で言ってた言葉、「PureなOne Drop」。
私もそんなひとしずくになろう。
ゆっくりやさしく、限りない広がりを持ち、すべてと溶け合う。
私たちは、地球の一部である。

tsuri

すべてに感謝します。
ありがとう。

釣り